「あなたにとって、Shadowverseとは?」
たまたま見に行ったシャドバの世界大会、その表彰式後のインタビューでアナウンサーが優勝者に投げた質問をふと思い出した。
優勝したプレイヤーは質問に対して「宝物」とか答えていただろうか。今やその時のことは正確に覚えてはいないが、そんな所だったと思う。
こんなことを突然思い出した理由だが、つい先程、Xのタイムラインを眺めていたところ、シャドバ最後のRAGEが今日開催されていたことを知ったためだ。
現行のシャドバはサービスを終了する。現行のシャドバにおけるRAGEの開催もこの2024年の春が最後。
知らなかったわけではないが、いざその日を迎えると、少なからず感慨深い気持ちになった。
このまでの内容を読んで、察している方もいるかとは思うが、私自身は今回のRAGEには参加していない。
それどころか、シャドバは1年以上前を最後にプレイしていない。
ただ、こんな文章を書いてしまうくらいだから、辞めるまではそれなりにシャドバと向き合っていた。
高校生1年生の時にシャドバがリリースされ、スマホにインストールし、大学4年生にしてアンインストールするまでの6~7年の間、多くの時間と体力をシャドバに費やした。
間違いなく、私の青春だった。
だから、「最後のRAGE」の文字に感慨深い気持ちになったのだと思う。
少し話を戻して、冒頭に書いた世界大会の優勝者インタビューが終わったあとのこと。観覧席で隣に座る友人が私に聞いた。
「自分ならなんて答える?」
もちろん、「あなたにとって、Shadowverseとは?」という質問に対してだ。
その時は、当時思っていたとこを素直に返した。
そんな光景を思い出しながら、今の自分ならなんて答えるだろうかと考えた。
そして、Shadowverseというゲームから、本当に色々なものをもらったんだと実感した。
だからこそ、「あなたにとって、Shadowverseとは?」という質問に対しても、たくさんの回答をすることが出来る。
そんな数多ある答えの中で、私にとって大切なものを3つほど、Shadowverseの歴史の終わりに、その思い出とともに文章として残しておこうと思う。
1.『呼吸』
「自分ならなんて答える?」そう聞いた友人に、当時私が返した言葉だ。
当時は半分冗談、半分本気でそう言った。
私がシャドバをプレイしていた当時、「ランクマは呼吸」というような言葉が存在しており、それに倣って言ったのかもしれない。
実際、シャドバをプレイしていた時期は、使える時間のほとんどをシャドバに費やしたこともあった。
大学生の時に至っては、朝起きて大学に行き、講義中にシャドバをし、夜はバイトをして、家に帰ったら朝までシャドバをして、少しだけ寝てから大学に行くといった、今では信じられないような生活も平気で送っていたし、『呼吸』はやや大袈裟だとしても、確実に生活の一部にはなっていた。
大学生の時に言い放った言葉であるため、今の私が考える、「あなたにとってのShadowverse」としては相応しくないように見えるかもしれないが、私が言いたいことは当時の生活習慣や呼吸をするようにシャドバをしていたことではない。
私がShadowverseにもらった様々なもののうちの1つ、それはきっと「生きがい」のようなものだと思う。
私のシャドバ人生は、時に笑い、泣き、悲しんで、喜んだ。本当に色々な感情と共にあったと思う。
ただそんななかで、楽しいという気持ちはいつでも変わらなかった。
シャドバそのものが楽しいというよりは、何かに熱中することが楽しかったのかもしれない。
結果的に、シャドバが私の人生に彩りを与えてくれたのかもしれない。
また、今現在の私にも、生きがいと呼べるものがいくつかある。それらを費やす時間は本当に楽しいと思える。確実に私の人生に彩りを与えてくれている。
それもこれも、何かに熱中することで、人生が輝くことをシャドバが教えてくれたからかもしれない。
2.『渇望』
「渇望」とは、主にヴァンパイアクラスに関係するワードで、ターン始めに引くカードを含めて2枚以上山札からカードを引いた状態のこと
ではない。
私にとってのシャドバはとにかく「勝ちたい」という思いと共にあった。
言わば勝利を『渇望』していた、そういう意味でこの2文字を挙げている。
思えばそれまでの人生で、本気で勝ちたいと思って何かに取り組んだことがあっただろうか。
無かったと言えばそれは嘘になってしまう。小学生の頃は野球をやっていたり、中学では勉強に必死になったり、高校ではトレーディングカードをやっていたし、その中で微塵も勝ちたいという思いが無かったことなど有り得ない。
だが、そのどれよりもシャドバが勝っている点が1つある。
手軽さ。DCGとしてのシャドバは本当にこれに尽きる。
1人でもスマホで手軽にでき、好きなカードゲームというジャンルで見知らぬ人と勝負できる。
その上で面白いと感じるゲーム性。
もっともっとこのゲームを研究したい、上手くなりたい、強くなりたい、結果を出したい。
勝ちたい。
そうして私はこのゲームに熱中していったのだと思う。
勝負の楽しさ、勝つ喜び、それらを毎日味わえる場所。Shadowverseからは本当に多くをもらった。
3.『縁』
シャドバからは本当に色々なものをもらったが、私は縁もシャドバがくれたものだと、つくづく思う時がある。
シャドバのようゲームは、勝負事であることに加え、戦術の多彩さから研究対象としての一面もあり、それはシャドバを研究対象とする人々のコミュニティの形成にもひと役買っていたと言える。
私自身もシャドバや紙のカードゲームをきっかけに、やっていなければ赤の他人だったような人と交流をもつようになった学生時代を過ごしたため、このような側面をもつシャドバには強く感謝している。
シャドバがくれた縁のひとつとして、私自身の名前に関わるものがある。
私はハンドルネームに「みこと」という名前をつかっているが、私の実家が飲食店をしていることもあり、「みこと食堂」という名前がコミュニティの名前になった。
コミュニティ名に名前が入っているためか、自然と「長(おさ)」と呼ぶ友人が現れ、今でもそう呼ばれることがある。
そうして、外の人間から見ればおかしなことも、私にとっては大切なアイデンティティになった。
そうやって、同じゲームを好きな者同士が集まったコミュニティだったからなのか、不思議なことで、シャドバをやっていない今でも仲良くしてくれる友人もいる。
シャドバは無くなっても、縁は残る。
友人たちと一緒にシャドバをプレイした思い出も、きっと忘れることはない。
さて、シャドバは別のゲームへと生まれ変わるそうだが、私自身は全くと言っていいほどにプレイする予定も気持ちもない。
Shadowverse EVOLVEも少しだけプレイしたが、復帰するつもりもない。
Shadowverseについて言及するのはこのブログが最後になるだろう。
この文章を書いているうちに、悲しいとか、そんな気持ちも無くなってしまったような気がする。
だから最後にひと言そえて終わろうと思う。
ありがとうShadowverse